ラグビーミュージアムをつくろう KAI
ジャパンラグビーのアーカイブとラグビーの魅力を伝えるミュージアムをつくりたい!
体感展示が実現!
2013/06/04 Tue. 18:04 [edit]
熊谷市のSさんとの出会いが、どうして体感展示の実現へとつながったのか
ご説明したいと思います。はっきりとした記憶は残っていないので、
若干事実と異なる部分があるかもしれませんがご勘弁下さい。
シンポジウム(ラグビートークセッション)が終わったのち、
私はSさんにお会いしに再び熊谷まで出かけていきました。
いろいろな話の中で、私がラグビーミュージアムをつくりたいことや
真田町に提案したことなどをお話ししたところ興味を持っていただきました。
そしてその翌年、平成10(1998)年は埼玉県ラグビー協会の創立50周年の年で、
協会では記念事業のひとつとして試合前やハーフタイムの時に
グラウンドでおこなうイベントを検討していました。
それを聞いたSさんが、私が真田町に提案した体感展示のことを覚えていてくれて、
協会の方にお話ししたのがきっかけでした。
協会との打合を経て、新たなアイデアも付加して10種類のアトラクションを提案しました。
結果予算に収まるなかで4つのものが採択され、
5月31日熊谷ラグビー場で開かれた第7回ラグビーフェスティバル・イン熊谷において披露されました。
この時、招待試合で来ていたサントリーの永友選手(現キャノンイーグルス監督)も体験してくれました。
4つの中で一番人気だったのが、「ハードタックラー」でした。
これは鉄骨とガスダンパーに支えられたタックルバッグにタックルすると、
圧力センサーで計測した数値がデジタル表示器に表されるもので、
誰もが自分のタックルの強さを確かめたくて夢中でやっていました。
ただ製作の際にタックルの強度を中学生レベルまでとして設計していたので、
協会が夏に菅平に持っていき高校生にやらせた時には、さすがに壊れてしまったそうです(笑)。
ご説明したいと思います。はっきりとした記憶は残っていないので、
若干事実と異なる部分があるかもしれませんがご勘弁下さい。
シンポジウム(ラグビートークセッション)が終わったのち、
私はSさんにお会いしに再び熊谷まで出かけていきました。
いろいろな話の中で、私がラグビーミュージアムをつくりたいことや
真田町に提案したことなどをお話ししたところ興味を持っていただきました。
そしてその翌年、平成10(1998)年は埼玉県ラグビー協会の創立50周年の年で、
協会では記念事業のひとつとして試合前やハーフタイムの時に
グラウンドでおこなうイベントを検討していました。
それを聞いたSさんが、私が真田町に提案した体感展示のことを覚えていてくれて、
協会の方にお話ししたのがきっかけでした。
協会との打合を経て、新たなアイデアも付加して10種類のアトラクションを提案しました。
結果予算に収まるなかで4つのものが採択され、
5月31日熊谷ラグビー場で開かれた第7回ラグビーフェスティバル・イン熊谷において披露されました。
この時、招待試合で来ていたサントリーの永友選手(現キャノンイーグルス監督)も体験してくれました。
4つの中で一番人気だったのが、「ハードタックラー」でした。
これは鉄骨とガスダンパーに支えられたタックルバッグにタックルすると、
圧力センサーで計測した数値がデジタル表示器に表されるもので、
誰もが自分のタックルの強さを確かめたくて夢中でやっていました。
ただ製作の際にタックルの強度を中学生レベルまでとして設計していたので、
協会が夏に菅平に持っていき高校生にやらせた時には、さすがに壊れてしまったそうです(笑)。
category: ラグビー体感器具
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