ラグビーミュージアムをつくろう KAI
ジャパンラグビーのアーカイブとラグビーの魅力を伝えるミュージアムをつくりたい!
新しい年に臨んで
2014/01/26 Sun. 08:55 [edit]
新しい年が始まり、ほぼ1ヶ月が経ちました。
昨年の4月に『ラグビーミュージアムをつくろうKAI』を立ち上げ、このブログを始めてから9ヶ月が過ぎました。
とにかくラグビーとの接点を増やしていくのと私の想いをいろいろな人に知ってもらうために
昨年はスタジアムでのラグビー観戦をはじめ、ラグビーやスポーツに関連するイベントや行事などに
できるだけ参加するような活動をしてきました。
特に印象に残っているのは、釜石へ行ったことや、RWC2019のワークショップ(東京)に参加できたこと、
また山口先生(山口良治さん)の『ラグビーと歩んだ55年の軌跡』展を観に京都まで行ったことです。
そしてそれらの活動を通じてさまざまなラグビー関係者の方とお会いすることができたり、
知己を得たりすることができまして、とても嬉しい年になりました。
しかしラグビーとは全く縁のない私にとっては、入り込めない辛さを痛感させられた時もありましたが、
反面快く受け入れてくれる方もいたりして、いろいろな経験をさせていただきました。
そして今年は今までの活動に加えてもう少しミュージアムについて具体的な動きをしていければと考えています。
ところでこのブログを読んでいる人は数少ないと思いますが、いくつかの記事に拍手をいただいている時があり、
どこのどんな方が拍手をしてくれたのか分かりませんが、とても嬉しくまた勇気づけられました。
本当にありがとうございます。
いつかどこかでお会いする機会があるかもしれませんが、これからも宜しくお願い申し上げます。
話は変わりますが、まだ具体的なプランは無いのですが
ラグビーはもちろんスポーツに関わる何かをしていきたいと思い、
昨年スポーツイベント検定試験を受けて合格しましたので、
それを生かして今後積極的な行動に繋げていきたいと考えております。
またこのブログでもラグビー以外のスポーツに関することも書いていこうと思っていますので、
つまらないブログですが時々アクセスしていただけたらとても有難く存じます。
2014年、本年も宜しくお願い致します。
昨年の4月に『ラグビーミュージアムをつくろうKAI』を立ち上げ、このブログを始めてから9ヶ月が過ぎました。
とにかくラグビーとの接点を増やしていくのと私の想いをいろいろな人に知ってもらうために
昨年はスタジアムでのラグビー観戦をはじめ、ラグビーやスポーツに関連するイベントや行事などに
できるだけ参加するような活動をしてきました。
特に印象に残っているのは、釜石へ行ったことや、RWC2019のワークショップ(東京)に参加できたこと、
また山口先生(山口良治さん)の『ラグビーと歩んだ55年の軌跡』展を観に京都まで行ったことです。
そしてそれらの活動を通じてさまざまなラグビー関係者の方とお会いすることができたり、
知己を得たりすることができまして、とても嬉しい年になりました。
しかしラグビーとは全く縁のない私にとっては、入り込めない辛さを痛感させられた時もありましたが、
反面快く受け入れてくれる方もいたりして、いろいろな経験をさせていただきました。
そして今年は今までの活動に加えてもう少しミュージアムについて具体的な動きをしていければと考えています。
ところでこのブログを読んでいる人は数少ないと思いますが、いくつかの記事に拍手をいただいている時があり、
どこのどんな方が拍手をしてくれたのか分かりませんが、とても嬉しくまた勇気づけられました。
本当にありがとうございます。
いつかどこかでお会いする機会があるかもしれませんが、これからも宜しくお願い申し上げます。
話は変わりますが、まだ具体的なプランは無いのですが
ラグビーはもちろんスポーツに関わる何かをしていきたいと思い、
昨年スポーツイベント検定試験を受けて合格しましたので、
それを生かして今後積極的な行動に繋げていきたいと考えております。
またこのブログでもラグビー以外のスポーツに関することも書いていこうと思っていますので、
つまらないブログですが時々アクセスしていただけたらとても有難く存じます。
2014年、本年も宜しくお願い致します。
category: ラグビーミュージアムをつくろうKAI 関連
なぜラグビーミュージアムを作りたいと思うようになったのか 4
2013/05/23 Thu. 18:02 [edit]
すいません、更新が遅くなってしまいました。
その後は相変わらずのテレビ観戦や、
ラグビーマガジンも読み始めたりしてラグビーと接していましたが、
ある時ラグビーマガジンの誌上で
菅平に新しく作るグラウンドの名称を募集している記事が目に留まりました。
後のサニアパークのことです。
この瞬間、私は閃きました。
新しく建設するスタジアムに併設して博物館を作ったらどうだろうか?
プロモーション映像がダメなら博物館があるじゃないか!
自分がこれまで経験してきた知識と技術とネットワークを活用すれば
映像だけではなく、さまざまな展示手法を用いて
ラグビーの魅力をアピールできる博物館ができるんじゃないかとワクワクしました。
その結果としてラグビーの普及や宣伝に繋がれば、私の想いが実現できると考えました。
こうして私の目指す新たな目標が定まったわけです。
本当ならば秩父宮の一角にラグビーミュージアムができるのが一番だと思っていましたが
それが無理ならラグビーの夏合宿のメッカ菅平でも根拠としては問題ないと思いました。
そこで真田町へ企画書を提案するにあたり、
当時(確か1996年)ラグビーマガジン編集長であった村上晃一さんに意見を伺おうと
ベースボールマガジン社を訪ねました。
突然の訪問にも快く応対してくれまして、この時が村上さんとの初めての出会いでした。
20年近く前のことですから、何をお話ししたかはっきりとは覚えていませんが
とにかく私のラグビーに対する想いと博物館の考えをお伝えして、
率直な意見をいただいたと記憶しています。
現在は提案書の電子データが残っておらずプリントアウトの控えしかありませんが、
企画書は2回提出しています。
1回目の企画書の日付が、平成8年12月3日。
博物館という単独の施設ではなく、新しく建設するスタジアムの一角に設けるという前提ですから、
ラグビー資料室という位置づけにし、その名称を『菅平ラグビースクエア』として提出したのです。


4回に渡ってダラダラと書いてきましたが、
以上が私がラグビーミュージアムを作りたいと思うようになった経緯(いきさつ)です。
ご理解いただけましたでしょうか?
その後は相変わらずのテレビ観戦や、
ラグビーマガジンも読み始めたりしてラグビーと接していましたが、
ある時ラグビーマガジンの誌上で
菅平に新しく作るグラウンドの名称を募集している記事が目に留まりました。
後のサニアパークのことです。
この瞬間、私は閃きました。
新しく建設するスタジアムに併設して博物館を作ったらどうだろうか?
プロモーション映像がダメなら博物館があるじゃないか!
自分がこれまで経験してきた知識と技術とネットワークを活用すれば
映像だけではなく、さまざまな展示手法を用いて
ラグビーの魅力をアピールできる博物館ができるんじゃないかとワクワクしました。
その結果としてラグビーの普及や宣伝に繋がれば、私の想いが実現できると考えました。
こうして私の目指す新たな目標が定まったわけです。
本当ならば秩父宮の一角にラグビーミュージアムができるのが一番だと思っていましたが
それが無理ならラグビーの夏合宿のメッカ菅平でも根拠としては問題ないと思いました。
そこで真田町へ企画書を提案するにあたり、
当時(確か1996年)ラグビーマガジン編集長であった村上晃一さんに意見を伺おうと
ベースボールマガジン社を訪ねました。
突然の訪問にも快く応対してくれまして、この時が村上さんとの初めての出会いでした。
20年近く前のことですから、何をお話ししたかはっきりとは覚えていませんが
とにかく私のラグビーに対する想いと博物館の考えをお伝えして、
率直な意見をいただいたと記憶しています。
現在は提案書の電子データが残っておらずプリントアウトの控えしかありませんが、
企画書は2回提出しています。
1回目の企画書の日付が、平成8年12月3日。
博物館という単独の施設ではなく、新しく建設するスタジアムの一角に設けるという前提ですから、
ラグビー資料室という位置づけにし、その名称を『菅平ラグビースクエア』として提出したのです。


4回に渡ってダラダラと書いてきましたが、
以上が私がラグビーミュージアムを作りたいと思うようになった経緯(いきさつ)です。
ご理解いただけましたでしょうか?
category: ラグビーミュージアムをつくろうKAI 関連
なぜラグビーミュージアムを作りたいと思うようになったのか 3
2013/05/16 Thu. 05:46 [edit]
ひとことで言うと、華やかなサッカー(Jリーグ)と地味なラグビー。
そんな図式でしょうか。
Jリーグは確かにプロモーションが上手でした。
そこはやはりプロだから、お金もかけたでしょう。
対して当時ラグビーはアマチュアリズムの権化でしたから、
まったく正反対といっても過言ではなかったと思います(あくまでも私見ですが)。
しかし、私自身の中ではラグビーという競技の方が自分の感性に合っていたので
「なんでこんなに熱くてカッコいいスポーツの人気が低いんだ」という憤慨する気持ちと
「もっと多くの人にラグビーの魅力を伝えられないのか」という思いが交錯していました。
そんな時、まず思ったのがプロモーション映像を作ることでした。
これなら自分にもできるんじゃないか・・・。
なぜなら私自身が映像制作に関わる仕事をしていたからです。
しかし映像素材が無いことには映像が作れません。
あの当時まだパーフェクTV!でのラグビー中継は始まっていませんでしたから、
試合の素材を持っていたのはNHKとTVKだったかと想像します。
高校ラグビーはTBSが持っていたでしょうね。
映像業界の方ならご存知でしょうが、制作するにあたっては素材を持っているところが
何といっても一番強いので、手の出しようが無いのが実情です。
一時文藝春秋からもビデオが発売されていましたけど、
素材を所有していなくても大きな出版社であり
雑誌「Number」を発行しているという実績もあるので
放送局からの素材提供も受けやすかったのだと思いますが、
こちらはそんなバックボーンはありませんので、圧倒的に不利な立場でした。
でも一度だけTVKを訪ねて、確か当時の編成局長だった方とお会いしたことがあります。
ちょっとしたラグビー談議をしたり、神奈川が地元ですから関東学院の春口監督の話をしただけで、
結局私の映像制作の夢は実現しませんでした。
後年、TVKから「Try Try Try」というビデオが発売され私も購入しました。
TVKが持っている多数の貴重な映像素材の中からトライシーンを編集した記録集的もので
私が作りたいと考えていたプロモーション的ものとは異なる作品でした。

以下、続きます。
そんな図式でしょうか。
Jリーグは確かにプロモーションが上手でした。
そこはやはりプロだから、お金もかけたでしょう。
対して当時ラグビーはアマチュアリズムの権化でしたから、
まったく正反対といっても過言ではなかったと思います(あくまでも私見ですが)。
しかし、私自身の中ではラグビーという競技の方が自分の感性に合っていたので
「なんでこんなに熱くてカッコいいスポーツの人気が低いんだ」という憤慨する気持ちと
「もっと多くの人にラグビーの魅力を伝えられないのか」という思いが交錯していました。
そんな時、まず思ったのがプロモーション映像を作ることでした。
これなら自分にもできるんじゃないか・・・。
なぜなら私自身が映像制作に関わる仕事をしていたからです。
しかし映像素材が無いことには映像が作れません。
あの当時まだパーフェクTV!でのラグビー中継は始まっていませんでしたから、
試合の素材を持っていたのはNHKとTVKだったかと想像します。
高校ラグビーはTBSが持っていたでしょうね。
映像業界の方ならご存知でしょうが、制作するにあたっては素材を持っているところが
何といっても一番強いので、手の出しようが無いのが実情です。
一時文藝春秋からもビデオが発売されていましたけど、
素材を所有していなくても大きな出版社であり
雑誌「Number」を発行しているという実績もあるので
放送局からの素材提供も受けやすかったのだと思いますが、
こちらはそんなバックボーンはありませんので、圧倒的に不利な立場でした。
でも一度だけTVKを訪ねて、確か当時の編成局長だった方とお会いしたことがあります。
ちょっとしたラグビー談議をしたり、神奈川が地元ですから関東学院の春口監督の話をしただけで、
結局私の映像制作の夢は実現しませんでした。
後年、TVKから「Try Try Try」というビデオが発売され私も購入しました。
TVKが持っている多数の貴重な映像素材の中からトライシーンを編集した記録集的もので
私が作りたいと考えていたプロモーション的ものとは異なる作品でした。

以下、続きます。
category: ラグビーミュージアムをつくろうKAI 関連
なぜラグビーミュージアムを作りたいと思うようになったのか 2
2013/05/15 Wed. 22:00 [edit]
さて、強い明治ラグビーを観ることに興味を抱き始めたその後ですが、
まずはテレビで観戦することからスタートしました。
それまでラグビー中継などまったく眼中になかった私ですが、
対抗戦では明治戦を中心に、大学選手権に入ってからは準決勝と決勝、
そして最後に日本選手権を観ました。
吉田メイジの後を引き継いだ小村メイジは安定した強さを発揮し、
大学選手権を危なげなく勝ち取った記憶があります。
おかげで強い明治が好きな私も気分よく楽しむことができましたが、
同時にラグビーに触れる時間が増えたせいかラグビーの面白さに次第に魅せられてきました。
そして1992年のシーズンに入ってからはテレビ神奈川(TVK)で、
明治戦に限らずリーグ戦、対抗戦の試合をすべて観るようになりました。
ルールの解釈がまだ弱かったのですが、各大学のチームカラーや中心選手などを覚えて
対戦予想をしたりしながらとても楽しんで観ていました。
ただ明治の試合だけは圧倒的な強さで勝つことだけを望んでいましたので、
楽しむというよりも鬼気迫る雰囲気で観ていましたけど(笑)。
またこの年は早明戦の直前に八幡山まで足を運んだりもしました。
そして同志社以来の大学選手権3連覇がかかった永友メイジに大いに期待していましたが、
準決勝で法政の前に撃沈。まさかの敗退に荒れ狂いました(笑)。
そんなことを経ていきながら、
いよいよラグビーの「熱さ」と「面白さ」に魅せられた私が次第に感じ始めたことが、
ラグビー人気とマスコミの扱いの低さでした。
それはちょうど1993年にスタートしたJリーグとの比較で痛烈に味わうことになりました。
リーグ立ち上げ早々でもありプロとアマチュアという違いもありましたが、
Jリーグとラグビーに対するマスコミの取り扱いの差に納得がいかない思いでした。
以下、続きます。
まずはテレビで観戦することからスタートしました。
それまでラグビー中継などまったく眼中になかった私ですが、
対抗戦では明治戦を中心に、大学選手権に入ってからは準決勝と決勝、
そして最後に日本選手権を観ました。
吉田メイジの後を引き継いだ小村メイジは安定した強さを発揮し、
大学選手権を危なげなく勝ち取った記憶があります。
おかげで強い明治が好きな私も気分よく楽しむことができましたが、
同時にラグビーに触れる時間が増えたせいかラグビーの面白さに次第に魅せられてきました。
そして1992年のシーズンに入ってからはテレビ神奈川(TVK)で、
明治戦に限らずリーグ戦、対抗戦の試合をすべて観るようになりました。
ルールの解釈がまだ弱かったのですが、各大学のチームカラーや中心選手などを覚えて
対戦予想をしたりしながらとても楽しんで観ていました。
ただ明治の試合だけは圧倒的な強さで勝つことだけを望んでいましたので、
楽しむというよりも鬼気迫る雰囲気で観ていましたけど(笑)。
またこの年は早明戦の直前に八幡山まで足を運んだりもしました。
そして同志社以来の大学選手権3連覇がかかった永友メイジに大いに期待していましたが、
準決勝で法政の前に撃沈。まさかの敗退に荒れ狂いました(笑)。
そんなことを経ていきながら、
いよいよラグビーの「熱さ」と「面白さ」に魅せられた私が次第に感じ始めたことが、
ラグビー人気とマスコミの扱いの低さでした。
それはちょうど1993年にスタートしたJリーグとの比較で痛烈に味わうことになりました。
リーグ立ち上げ早々でもありプロとアマチュアという違いもありましたが、
Jリーグとラグビーに対するマスコミの取り扱いの差に納得がいかない思いでした。
以下、続きます。
category: ラグビーミュージアムをつくろうKAI 関連
なぜラグビーミュージアムを作りたいと思うようになったのか 1
2013/05/12 Sun. 10:59 [edit]
ラグビー経験の無い私が、なぜラグビーミュージアムを作りたいと思うようになったのか
そんな話しを少しさせていただこうと思います。
私のプロフィールを見ていただくと分かりますが、
そもそも私がラグビーファンになったのは1990年の早明戦をテレビで見たのがきっかけです。
それ以前には、ラグビーという競技そのものに全く興味がなかったので
競技場での観戦はもちろんテレビ観戦さえも経験がありませんでした。
私自身がラグビー部が看板の明治の学生だったにもかかわらず、です。
今考えると、ある意味ちょっと驚きかもしれませんね。
それまでの私にとってラグビーという競技は、「青春とはなんだ」や「でっかい青春」、
皆さんご存知の「スクールウォーズ」などのテレビドラマで見るスポーツのひとつに過ぎませんでした。
ドラマの中で描かれるラグビーはラグビーの競技としての魅力を紹介する訳ではなく、
あくまでもドラマを進行させていくうえでのスパイスでしかありませんので、
ドラマを見ていたからといってラグビーを好きになったり興味を抱くことはありませんでした。
それがなぜ、1990年の早明戦を見ることになったのか?
早明戦は12月の第一日曜日と決まっていますが、
その前日の夜私はNHKの「サタデースポーツ」(当時)という番組を見ていたところ、
その中で翌日おこなわれる早明戦のことが紹介されたのでした。
いわゆる「伝統の一戦」であり、しかも早明の両キャプテンが堀越・吉田という
共に1年生からレギュラーとして活躍していた注目のライバルでしたので、
番組内でも大きくクローズアップされていました。
そんな二人の存在はもちろん、翌日に早明戦があることさえ知らなかった私でしたが、
これは面白そうだと思い翌日のテレビ観戦を心に決めました。
そして翌日テレビの前に陣取った私ですが、ルールなどもちろん分かりません。
でもとにかく「早稲田に負けるのだけは許せん」という気持ちだけでテレビにかじりついていました。
明治の勝利は間違いないと確信していたのに、まさかまさかの同点劇の終止符に唖然としてしまい、
悔しくて仕方ありませんでした。
これで火がつきました。
大学選手権に入ってからも目が離せず、あわや敗退かと覚悟した準決勝京産大戦の逆転勝利、
そして決勝早稲田との再戦における吉田の劇的トライを経ての早稲田撃破!
もう最高の気分でした。
でもこの時はまだラグビーそのものにと言うよりも、
明治ラグビーの勝利に夢中になってしまったと言った方が正しいです。
以下、続きます。
そんな話しを少しさせていただこうと思います。
私のプロフィールを見ていただくと分かりますが、
そもそも私がラグビーファンになったのは1990年の早明戦をテレビで見たのがきっかけです。
それ以前には、ラグビーという競技そのものに全く興味がなかったので
競技場での観戦はもちろんテレビ観戦さえも経験がありませんでした。
私自身がラグビー部が看板の明治の学生だったにもかかわらず、です。
今考えると、ある意味ちょっと驚きかもしれませんね。
それまでの私にとってラグビーという競技は、「青春とはなんだ」や「でっかい青春」、
皆さんご存知の「スクールウォーズ」などのテレビドラマで見るスポーツのひとつに過ぎませんでした。
ドラマの中で描かれるラグビーはラグビーの競技としての魅力を紹介する訳ではなく、
あくまでもドラマを進行させていくうえでのスパイスでしかありませんので、
ドラマを見ていたからといってラグビーを好きになったり興味を抱くことはありませんでした。
それがなぜ、1990年の早明戦を見ることになったのか?
早明戦は12月の第一日曜日と決まっていますが、
その前日の夜私はNHKの「サタデースポーツ」(当時)という番組を見ていたところ、
その中で翌日おこなわれる早明戦のことが紹介されたのでした。
いわゆる「伝統の一戦」であり、しかも早明の両キャプテンが堀越・吉田という
共に1年生からレギュラーとして活躍していた注目のライバルでしたので、
番組内でも大きくクローズアップされていました。
そんな二人の存在はもちろん、翌日に早明戦があることさえ知らなかった私でしたが、
これは面白そうだと思い翌日のテレビ観戦を心に決めました。
そして翌日テレビの前に陣取った私ですが、ルールなどもちろん分かりません。
でもとにかく「早稲田に負けるのだけは許せん」という気持ちだけでテレビにかじりついていました。
明治の勝利は間違いないと確信していたのに、まさかまさかの同点劇の終止符に唖然としてしまい、
悔しくて仕方ありませんでした。
これで火がつきました。
大学選手権に入ってからも目が離せず、あわや敗退かと覚悟した準決勝京産大戦の逆転勝利、
そして決勝早稲田との再戦における吉田の劇的トライを経ての早稲田撃破!
もう最高の気分でした。
でもこの時はまだラグビーそのものにと言うよりも、
明治ラグビーの勝利に夢中になってしまったと言った方が正しいです。
以下、続きます。
category: ラグビーミュージアムをつくろうKAI 関連